Kontosi エッセイ〜高2 決心〜

高校2年の半ば、生徒会の役員選挙があった。



高校入試は推薦入試で合格し、そのときの面接で言ったことを覚えている。
「私は勉強はもちろんのこと、部活動、生徒活動もやりたいです」とはっきり言った。
正直、勉強もどうなっていくのかもわからなかったし、部活もどうしようか迷っていた。
一番の問題は生徒会活動。
中学で生徒会をやってきたわけではないし、忙しそうで大変というイメージしかなかったのでやろうとは思っていなかった。


高校2年になるとクラスの学級委員になった。
それも、自分から立候補して。今までの自分には考えられなかった。
生徒会活動のようなみんなをまとめるなんて仕事を一番やろうと思っていなかった僕が・・・
担任の先生と進路の面談の話をしたときに、クラスの学級委員をやってみないかと誘われた。
それで、2年の半ばに行う生徒会役員選挙も考えていてほしいとも言われた。
元々生徒会活動は忙しいというイメージを持っていたし、2年になると大学進学のことも考える。
生徒会役員の任期は2年の半ばから3年の半ばまでで約1年の任期。
周りの人は部活を引退して受験勉強を始める頃になっても自分は生徒会活動をしなくてはならないとまで考えた。

生徒会をやるかは別として学級委員になった。
クラスをまとめるというか僕が何もしなくても自然とまとまっていったよう気がする。

学級委員になっての一番の仕事は学校祭のクラス企画。
1年のときに1度経験しているということで意外と意見が出てきて、学級委員としてはありがたかった。
でも、なかなか一致するような案がなく、最後には学校祭当日放送するラジオ番組をやろうということになった。
学校側から準備が少なそうということで校内の分担されたところを装飾することにもなった。
企画については一件落着した。

ラジオ番組といっても誰も専門的な知識を持っているわけでもなく、何から始めたらいいかもわからず学校祭間近まで迫って、ようやく形になってきた。でも、気がついたらある一部の人だけが活動していて、まったく参加しない人もいた。
僕はまとまるように呼びかけても反応は薄かった。自分の中ではまとまっているように見えたが、本当は足りない部分もあったのだと気づいた。
それは自分が悪いのだと思う。見ているようで見ていなかったのかもしれない。
ラジオの企画もなかなかうまくいかず、みんなと意見がぶつかるようになった。
最後の最後で何とかやることは全て決まったけど、最後まで学級委員としてみんなに信頼はされていなかったと思う。
そんな自分がとても嫌だったし、学級委員という立場から悩んでいること、迷っていることが誰にも相談できずに頭の中に残っていた。

学校祭の当日、上手くいったのは最初だけで、後はどんどん予定が崩れていった。
他の人のせいに心の中でしたし、もう投げ出しそうにもなった。
初日が終わりメンバーを集めて話をした。今まで加わっていた人がいないのも気づいた。
怒りと、自分に対しての情けなさで一杯だった。みんなには気持ちを出さないようにしていたが、たぶんみんな気づいていたと思う。
最後まで教室に残り最終日の準備を遅くまでしていると、みんなの集めたデータを見て、みんなは頑張っていると思えたが、自分自身は頑張っているなんて全然思わなかった。
今考えてみると、確かにそれなりに頑張っていたのかもしれない。
でも、みんなと自分とは立場が違う。人の何倍も頑張って当たり前。
2日目もみんなからの不満は絶えなかった。自分ですら自分に不満があって爆発しそうだった。
最後のほうは放送できない状態までなり結局、学校祭は終わった。心身ともに疲れきっていた。

クラスで打ち上げみたいなこともしていたが、一人で片づけをしていたと思う。
そこにある友達がきて、いろいろあったけど楽しかったと言ってもらえた。
みんなにはほんとに悪いことをしたと思う。
自分に足りないことがよくわかった。みんなをまとめることの大変さと、責任感の重さはやってみないとわからない。
この学校祭を通じてよくわかった気がした。



夏も終わり、生徒会役員選挙が近づいてきた頃、選挙に立候補しようか迷っていた。
学校祭で自分は先頭に立ってやれる人間ではないと思ったし、みんなの信頼も得られるか心配だった。
でも、忙しいのを覚悟で立候補した。一番やりたいと思ったことはもう一回学校祭を面白くしたいと思った。面白くしたかったら自分から動いて何かすることが一番いい。
選挙の結果何とか信任をうけて生徒会の役員になれることになった。


つづきの生徒会になってからは、次のエッセイにて。

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