Kontosi エッセイ〜恩師 生徒会〜



高校3年のときの学校祭と高校2年のときの学校祭と大きく違った。
2年のときはクラスのまとめ役としてクラスの準備、企画をした。
しかし、3年になっては生徒会の一員として、学校祭実行委員として、
クラスの一員としての学校祭だった。
実行委員はクラスだけでなく、学校全体の企画運営を中心にやらなくてはならない。

生徒会に入って、半分が過ぎた4月1日。
今まで生徒会の顧問としてみんなをサポートしてくれた女性のK先生から、
男性のT先生に顧問が受け継がれた。
4月1日は転任の先生方がはじめて僕達の高校に来る日。
生徒会の広報に新任、転任の先生方の紹介文を掲載するため
写真を撮らせていただくことになっていた。
なのでほぼ全員集合していた生徒会室にT先生とO先生が入ってきて、顧問が交代したことを聞いた。
驚いた・・・
T先生とは授業を教えていただく機会もなく、あまり話したこともなかった。
けど、中学校でT先生の母親の先生から英語を習った。
つまり、T先生の親子2代の先生からお世話になることになった。


T先生も初めての生徒会活動の顧問ということで何もわからない状態だった。
でも、6月には一大行事の学校祭がある。
それまでにはやることがたくさんあり、先生も苦労したと思う。
僕は他の生徒会のメンバーと違い、部活もやっていなかったので放課後は忙しくなかった。
部活をやっている人ができない、広報の作成などいろいろしているうちに、T先生とも打ち解けてきた。
生徒会は自分から何かしなきゃ始まらない。
いつもそう思っていたので、自分から先生に意見をぶつけていった。
でも、自分の意見をはっきりはいえたけど、行動に移すまではなかなかしなかった。
そんなときT先生から、「自分で何とかできるんではないか?」と言われ、自分の甘さに気が付いた。
T先生の前のK先生はみんなの意見を先生が何とかしてくれた。
悪い意味でなく、T先生はできる限り生徒にやらせて、生徒だけではどうしようもないところはサポートするという考え方だった。
そんなT先生は僕たちと考えるときも、何か行動しているときも一緒になって生徒会のメンバーとやった。
T先生が高校生に戻ったように思うときもあった。
T先生はみんなと距離が近かった。いや、みんなと同じ視点で特別な存在はあまり感じなかった。
一緒になってバカなこともやったりもした。
そんな先生に壁は感じられなかった。

学校祭の準備も本格的になり、実行委員だけでなく、全校生徒みんなが学校祭に向かっていた。
メンバーにとっても全体の企画などは初めてで、もちろん先生も初めてだった。
みんなで夜遅くまで悩んで考えたりしたときも、先生のさりげない一言は大きかった。
学校祭が1週間前まで近づいてかなり忙しくなってきた。
僕はオープニングの責任者だったので、学校祭の切り込みとして校長先生に芸をやってもらう企画を立てていた。
大体企画が決まったところで、実行委員に提案した。
生徒会長ともかなり考えて話し合ったので少し自信はあった。
でも、メンバーは納得しなかった・・・
かなりの駄目だしをされてしまった。あと時間がないだけに、落ち込みまくった・・・
そんな僕は学校から出てプラプラ・・・
そこにT先生から電話がかかってきて、励ましてもらった。
T先生も甘やかすこともせず、もう一回やってみることを薦めた。アドバイスももらわなかった。
T先生は生徒の力を信じていたのだと思う。
それは簡単なことでもないし、生徒も理解していなければ難しい。
でも、先生とメンバーの信頼関係はそこまであったからこそだと思う。

新たな企画も承認されて準備は進んでいった。
各部門でも問題はたくさんたあった。学校祭前日の夜になって予定していたようにならなくて、部門関係なく実行委員と先生方でなんとかしようとしていた。
けど、なかなか上手くいかない。その部門の責任者も焦ったのか泣き始めてしまった。でもみんな何とかしようと本気だった。
最後は何とか解決した。時間は夜11時になっていたと思う。
ここ一週間は夜の11時は当たり前だったけど、2年生の実行委員もほとんどが残っていた。
肝だめしもしたりできるほど、校内は怖かったな〜。
最後までみんな頑張った。一言では言い表せないほどだった。
最後の最後まで、T先生がみんなに言葉では言っていないけど、自分達の力を信じてやることをみんな意識的にでなく、自然とやっていたと思う。

しかし、僕は実行委員でもあるけど、クラスの一員でもある。
正直、クラスの企画に関わることはなかった。
当日は縁日をやったが何をやったらいいかわからなかった。
準備段階からクラスに加わらなかったのが悪かった。2年のときの後遺症というか
みんなとの距離があったと思う。

学校祭当日オープニングも何とかみんなを笑わせることができた。
僕の中では成功したと思う。オープニングの評価はメンバーからもよかった。
終わってみて、どれだけ先頭になってやるということ、みんなをまとめることの難しさを知ったと思う。
こんなにいい経験は生きているうちにできるかわからない。

2日間の日程が全部終わって最後のフィナーレ。
ステージ上でT先生が泣いたのにつられて、泣いてしまった。
全校生徒の前でそんなことも考えず、実行委員は泣いていた。
僕もよく覚えていないが、終わるまで泣いていたと思う。やり遂げた自信と、終わってしまった寂しさが入り混じっていた。
少し落ち着いて、片付けをしているとT先生と会って、握手をしながら何か声をかけてもらったけど、また泣いてしまったのでよく覚えていない。

準備の途中、クラスの打ち上げが当日にあることを聞いた。
クラスの企画にも参加してないし、周りの目も気になっていた。
けど、実行委員だけでなく、クラスの一員であることも忘れてはなかった。結局、
打ち上げは行かなかった。
最後は怖かった・・・

片付けが全部終わったところで、T先生が、
「もっと自分達がやったことに自信を持て!この学校祭は自分達がいなかったら、
成功はしなかったと思わせるくらいやったんだ!もっと胸を張れ!」
T先生はクラスの打ち上げに行ってもらいたかったのだ。
実行委員に集中してクラスの企画ができなかったことよりも、自分達が成し遂げたことに誇りを持ってもらいたかったのだ。
先生に言われて気づきました。最後まで、たくさん怒られたり、励ましてもらったり、いろいろT先生には救われた。

このページのタイトルの“本物”はこの先生の言葉からもらった。
「おまえらは本物だよ!本物の生徒会だよ」
と言った言葉が強く残っている。
誰でもそれぞれ個性も違う。そんな中で、別々のタイプの人たちがひとつの事に向かってやったとき、みんな“本物”になっていた。
高校時代に経験したこの思い出と、自分を大きく成長させてくれたT先生。
新しい生活になって、どんな経験をするかわからないけど、また“本物”の自分と向き合いたいと思ってこのタイトルに決めました。
T先生とも一緒に高校生活最高の思い出を作ることができて最高です。
ホントにありがとうございました。

恋愛エッセイ集へ

エッセイ集へ

作詞集へ

ホームへ戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送